MENU

PROJECT STORY 01

新業態都市型店舗『P.S.FA』の挑戦その中心を時代とともに「夢中」で駆け抜けた1人の男がいた
2006年に売上高100億円を突破し、たくさんのお客様に高品質・低価格のスーツを提供する『P.S.FA』。
企画立案から事業が軌道に乗るまでの壮絶なドラマを、当時の企画立案者にお伺いしました。

Kenichiro Yokoyama

Profile
1994年入社
現在の所属:法人営業部 部長
プロジェクトスタート時の部署:新規事業部 主任(2000年配属)
最初はほぼ気絶しながら企画を考えました
携帯電話にやっとカメラが搭載され始めた2000年、郊外型紳士服店が主流であった当時のスーツ業界では、若者のスーツ離れが嘆かれていました。そこで、P.S.FAは①全く新しい業態開発によって、②東京で、③若者に、④スーツを売る、というテーマで始まったのです。自身も29歳で、若い世代が新しいものを求めているという感覚はあったことから、高品質高感度で、低価格な製品を世に出すことができれば、絶対に成功できるという確信はありました。しかしながら、まず私の頭を悩ませたのは、オープンまで実質3か月しかないということ。立地や人員、商品の手配、売上計画など、考えるべきことは山積みでした。あまりにも考えすぎて「夢の中」でも仕事をしており、その中で自分が紙に「パーフェクトスーツファクトリー」と書いたのがきっかけで、それがそのままブランドの名前となったほどです。上司と協力し、時には意見をぶつけ合いながら、今となっては考えられませんが、家にもほぼ帰らず飲まず食わず寝ずの作業の末15日ほどですべての企画書を練り上げ、なんとかプランを実行に移していったのでした。
この頃は地獄の日々だったとしか言いようがないです
方針が決まってからも苦難の連続でした。まず、出店場所を決めねばなりません。都市型店舗の出店ノウハウが乏しかったため、東京の都市部を実際に歩き回って探しました。当然当時はスマホやGPSはなく、紙の地図にマークをつけながらの地道な作業です。あまりにも見通しが立たず、夜中に池袋のファーストフード店の前で、次々にお客さんが出入りしている光景をみて男泣きをしたのを覚えています。「いつか必ず、こんな場所に店を構えてやる」と自分を奮い立たせ、何とか場所を見つけ、インパクト重視の3店舗同時オープンを実現させても、お客様は遠巻きに見ている感じで、なにかが足りないことはわかっていても、何が足りないのかはわからずまた頭を抱えました。そこで私たちが行ったのは、愚直に「お客様の声を聞く」ということ。店を出たお客様に「何がダメだったのか」聞き、その意見を真摯に受け止め、一つずつ改善していきました。また、様々な試行錯誤を経て、「入りやすさは出やすさ」という気づきを得たことで、P.S.FAの方向性が定まります。この地道な作業と「入りやすさは出やすさ」というキーワードが、その後の町田店と池袋本店の大成功へと繋がり、P.S.FAが躍進するきっかけとなりました。
2006年度には売上高100億円を突破。そして現在に至るまでたくさんお客様に選んでいただけるブランドに成長してくれたことで、当時の苦労が報われた気持ちです。
当時を支えてくれた方々には感謝してもしきれません
当然ながら、私一人でP.S.FAを創り出すことはできませんでした。初出店時の店長や店舗スタッフたちの苦労は想像をはるかに超えるものだったでしょう。時代背景もあり、本当に心と体をすり減らしながらの日々でした。しかし彼らの活躍なくして、現在のP.S.FAが存在しえなかったのは言うまでもありません。事業が軌道に乗り始めてからも、「P.S.FAらしさ」やオペレーションが定まりきっていない中、当時の新入社員たちは本当に良くやってくれました。現在のP.S.FAの中核(マネージャーや店長)を担う多くは、私が直接説明会で話し、面接し、仲間に迎えた方々なのです。また、先が見えず、数多の企業に断られる中、一言の質問もなく笑顔で仕事を引き受けてくださった直し屋さんのことも忘れられません。そのとき、きっと私は相当切羽詰まった顔をしていたのでしょう。まだまだ恩を返せていないと感じる日々です。たくさんの人に支えられ、いまのP.S.FA、そしてはるやまがあるのです。
PROJECT STORY 02
i-shirt開発ストーリー